飯田さんのページ |
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故 飯田哲(Satoshi Iida)氏のプロフィール 1933年11月20日樺太大泊町にて出生 その後函館、宮城、新潟と移り留萌高校を卒業、東京で出版社に勤務、その後1955年札幌でNTT関連企業に勤務。 1973年4月北海道情報調査会設立、関与 1974年6月第一回「科学技術と情報を考える会」開催 定期刊行物「ほっかいどう技術情報」発刊 1975年10月北海道金属プレス工業会事務局長に。 1976年9月「技術研究会」設立 1979年2月日本科学技術情報センター北海道支所招致に尽力、情報端末装置の設置が実現する。 1980年「サイエンスサロン」設立 1982年「技術フロンティア」設立 1987年12月3日北海道経済センターのエレベーター内で心不全で死去。 54歳と13日 |
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飯田さんを想う
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飯田さんが他界してから既に10余年がたち、小生も飯田さんの年齢になったことから、ここにホームページを作成する機会に「情報」の飯田さんをぜひWebにアップしたいと。飯田さんを知る人に、今度はWeb上から「やぁ」....と。
飯田さんとのめぐり会いは「技術研究会」という、異業種交流会でもなく、サロンでもない、プライベートな研究会からでした。金属プレスに関係する企業の中間管理職が夜、仕事を終えてから自費で月に一度経済センターの9階に集まって技術談義をして、講演して頂いた人をまた仲間にして。その技術研究会がなんと、20余年の今日も続いている。 技術研究会のご紹介は別の機会として、飯田さんが当時の北海道に水平思考が大切だと言い、異業種交流会を林立させ、人材接着業を買って出て、北海道の発展を願いつつ多くの飯田語録を残された。今大変な不況の中で、産業クラスター構想などの産学官の動きもあるが、今一度「北緯43°からのアピール」や「北の技術と文化」論を検証し、「きみは野生を失っていないか?」と自問してみては如何かと。 飯田哲の本 |
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カバーの絵 金田nq氏 カバーの題字 飯田悦子氏
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この本は飯田さんの一周忌に間に合わせるべく、飯田さんにお世話になった百数十名の人たちが刊行会を作り、飯田さんの想いを、飯田さんとのかかわりをまとめ上げた、北海道の人たちへの励ましのメッセージでもあります。 | ||
発行者 飯田哲の本刊行会 発行 同上 印刷 正文舎印刷株式会社 昭和63年11月10日 |
杉谷さんとのある日のスナップ/ キーワードはフラメンコとカスタネット |
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飯田哲の本刊行会 委員長 三浦良一 企画編集 金田忠雄 札幌市中央区北1西2 北海道経済センター 北海道生産性本部内「飯田哲の本刊行会」011−241−8591
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